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浅田真央の出場はどうなるのだろう?と気になっていました。
【ソチフィギュアスケート】
浅田真央選手あらためて引退の考え
「4年後想像できず」 pic.twitter.com/I67MiqeoGV— 浅田真央♡ふぁん (@maomao_fan_) March 23, 2022
平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックを一年後に控え「女子フィギアの出場枠がどうなるのだろうか?」と思われる頃、日本代表の出場を賭けたフィギュアスケートの世界選手権の舞台に 浅田真央の姿が見られない。2016年10月に米国シカゴで行われたGP(グランプリシリーズ)の結果で「浅田真央トリプルアクセル解禁どころか引退秒読み」なんて報じられる事もありましたが、浅田真央は平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックで最高の演技を披露してくれるものと信じていました。でもその後、どうしているかが伝わって来ません。
「もしかして本当に引退?」
「でもCMには顔を出しているし、練習は続けている様子。」
「体調はどうだろう?、腰や膝の痛みは治まったのだろうか。」
何よりも心配だったのが
「最高の浅田真央に仕上がるまでに間に合うのだろうか?」という懸念でした。
そんなある日、浅田真央本人からのメッセージに驚きました。
2017年4月10日午後10時51分。約2カ月ぶりに更新した浅田真央公式ブログ
<浅田真央 引退メッセージ引用>
「ご報告致します。突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました。」
「去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました。」
私は浅田真央は最後まで諦めない、腰や膝の痛みを治して体調さえ整えば十分に金メダルが狙えると思っていました。それはこんな前哨戦があったからです。
浅田真央26歳。2016年10月22日と23日(日本時間)の二日間で行われたフィギュアスケートのISUグランプリシリーズ・アメリカ大会で視た2018年冬季の 平昌オリンピック(ピョンチャンオリンピック)に向けて金メダルを目指すしっかりた戦略が読み取れました。
目指すは 演技面での最高の浅田真央の演出「情熱的な女」
膝の痛みを抱えた出場、不利な戦いの中で 演技構成点での完成度を目指す。そして平昌オリンピックまでには体力的不調を克服し 技術面でも演技面でも最高の浅田真央を目指す。平昌オリンピック(ピョンチャンオリンピック)の大舞台で世界の頂点を目指せる策でした。
でもフリー後半、回転ジャンプ失敗!
結果は当然ふるわず。
浅田真央へのインタビュー引用
<今回の演技について>
「まだまだ。」
「課題はたくさんある。」
「後半疲れてきて自分のリズムがとれない。」
「残念。」
浅田真央へのインタビュー引用
<次の大会(2018年冬季の 平昌オリンピック(ピョンチャンオリンピック)について>
「やるしかないけれど、(今は)自分の最高のレベルではない。」
「これ以上は落とせない。」
確かに上手くは行っていない、でもやる気満々、諦めない。私はソチオリンピックのフリーの演技以上に感動し「浅田真央頑張れ!」心からそう思えました。
あれから浅田真央選手がどうしているかはずっと気になっていましたがまさか引退するとは思っても見ませんでした。浅田真央引退報道が沈静化して、世間でも忘れかけているこの頃、冷静になって考えてみると彼女の引退とは 多分こういうことだったのではという視界が見えてきました。
スケートを始めたのは5歳から。それから21年間「スケートこそ私の人生」という日々。
浅田真央が最も 楽しいと思える瞬間それは、「技ができる事」。
彼女がこだわるのは 3回転半ジャンプ 3A(トリプルアクセル)、大先輩の伊藤みどり選手が世界で初めて飛んだ男子でも難しいとされる大技。この成功が「フィギアって素晴らしい!」と多くの選手を奮い立たせ、浅田真央は若干12歳でこの大技をこなします。
浅田真央が最も 楽しいと思える瞬間それは、 「3A(トリプルアクセル)が飛べる事」
彼女は天才だと語られることが多いが、実態は努力の人。彼女よりも才能のある人はいた。お姉さんの舞さんもその一人。彼女の本当の才能は”諦めずに出来るまで頑張り続ける事”。誰よりも多く練習して、練習して、練習して、コーチに止められるほど。
大技 3A(トリプルアクセル)を飛ぶ素晴らしさは私達素人目にはわかり難い。フィギアの技を評価する時は審判ですらビデオでスロー再生をして確かめる程なのだから。でも私達素人目にも浅田真央が大技を飛んで転ぶ事無く着地する姿は美しく、見るものをグッとひきつける感動を呼び起こします。
天才少女
いつしか彼女は天才少女と称賛され、スポーツ界のみならず日本国民の熱い期待が寄せられる。そしてオリンピックの大舞台で金メダルが期待される。
<浅田真央引退メッセージより>
「銀メダルだったバンクーバーのときは19歳。若くて気が強くて、気持ちだけで乗り越えたという感じがします。ソチのショートは残念な結果だったけど、4年間の思いをフリーに注ぎ込めた。最後は上を向いて“終わった”と思ったと同時に“よかった”ってうれしくて涙が。」
<浅田真央引退メッセージより>
「すごくうれしかった記憶があります。自分の強みでもあったと思うんですけど、その反面、悩まされることも多かったですね。もしトリプルアクセルに声をかけるなら……。
「なぜもっと簡単に跳ばせてくれないの!」
って感じです(笑)」
女子フィギアの世界でこの大技を選ぶ選手は少ない。大会本番でミスせず決める事が難しいばかりでなく、女子フィギア採点の世界では努力に見合う評価が得られ難い様に思える。(男子フィギアは 4回転ジャンプの)成功が優勝への条件と進化する中で) 女子フィギア採点の世界って素人にはわかり難いが簡単言うと
得点 = 技術点 + 演技構成点 - 減点 という式で表されるそうだ。
このうち
専門的にはそれなりの理屈があるろうが、私達素人が見ていて感動するのは
だったりする。だけれど、この様な次元にこだわる選手は 本番で決める事が難しく不安定で失敗しやすい。浅田真央以外の優勝を目指す選手は最初から難しい事は避けてミスなくバランスよく無難にまとまった演技を選びやすいように思える。
私達の生き方も大抵はそうではないだろうか。最初から難しい事は避けてミスなくバランスよく無難に結果を出した方が評価されやすい。
自分の生き方にこだわり切れる人間がどれだけいるだろうか。成績でも受験でも仕事でも。だからこそ浅田真央の生き方は平凡な生き方しかしていない私達の魂に響いてくる。(勿論、本人にそんな偉そうな事を言うつもりはないでしょうけれど)
ソチオリンピック後復帰してから引退宣言をする間の浅田真央はどうだったのだろうか。ソチオリンピック 帰国後。復帰するか引退するかは「ハーフ、ハーフ」と本人は語っていたが、「あそこで辞めて後悔したくない」と彼女は決断し戻ってきた。その前後、同じ時代を共に戦った多くのアスリート達は皆引退して、十代から若手が台頭してきた。
浅田真央が最も 楽しいと思える瞬間それは、「3A(トリプルアクセル)が飛べる事」
浅田真央、26歳。多くの女子選手が引退する20代後半に差し掛かる。腰や膝に痛みを抱える彼女にとって10代の頃の様に軽やかさがなくなる。それでも筋肉をつけて体調を整え最高の浅田真央に復活を目指す。
得点 = 技術点 + 演技構成点 - 減点
彼女が最後に目指したのは技術点:高難度な3A(トリプルアクセル)を完璧にこなしつつ、演技構成点 :ベテランならではの芸術的表現で勝負に出た様に思える。2016年10月22日と23日(日本時間)の二日間で行われたフィギュアスケートのISUグランプリシリーズ・アメリカ大会でみた浅田真央26歳の演技。平昌オリンピック(ピョンチャンオリンピック)での優勝を賭けて最高の浅田真央にチャレンジしようとする姿。
曲目は恋は魔術師のリチュアルダンス。初日のショートプログラムで黒鳥を演じ、翌日のフリープログラムではオーケストラバージョンで赤いコスチュームで情熱的な女性を演じようとする。
本番前のリンクで調整しているときの浅田真央の表情に驚いた。おっとりとした笑顔の浅田真央はそこになく、まるで戦に臨むサムライの様な戦士の顔。勝負に賭ける凄まじい意気込みが伝わってくる。
しかし膝の痛みを抱えた出場、不利な戦い。それでも演技構成点での完成度を目指す。そして平昌オリンピックまでには体力的不調を克服し技術面でも演技面でも最高の浅田真央を目指す。目論見は悪くはない、平昌オリンピック(ピョンチャンオリンピック)の大舞台で世界の頂点を目指せる策だ。
でもこの大会での演技、体が気持ちについていかない。思うように飛べない!、舞えない!、重い!、重い!、重くて切れのあるリズムが取れない!。
浅田真央の苦悩、もがき、喘ぎが伝わってくる。
リンクの上の浅田真央は「情熱的な女性」ではなく「苦悩する女性」
そして
フリー後半、回転ジャンプ失敗!
浅田真央 それでも動揺せず、堪えて演じ続ける。黒鳥が伸びやかに、堂々と、大空に鳥が羽を広げて滑空しているかの様な優雅さは感じられた。
浅田真央へのインタビュー引用
<今回の演技について>
「まだまだ。」
「課題はたくさんある。」
「後半疲れてきて自分のリズムがとれない。」
「残念。」
<次の大会(2018年冬季の 平昌オリンピック(ピョンチャンオリンピック)について>
「やるしかないけれど、(今は)自分の最高のレベルではない。」
「これ以上は落とせない。」
2016年10月23日時点の浅田真央は未だ平昌5輪金メダルへの挑戦を諦めていなかった。ではそれから半年ほどたった2017年4月10日の引退宣言までに本人の心境はどう変わったのだろうか。
>>引退を告げる浅田真央公式ブログから彼女の心境に分け入ってみよう。
冒頭は引退宣言から始まる。
<浅田真央引退メッセージ引用>
「ご報告致します。突然ですが、私、浅田真央はフィギュアスケート選手として終える決断を致しました。」
そしてそしてファンや支援者への感謝が述べられる。
「今まで、長くスケートが出来たのも、たくさんの事を乗り越えてこれたのも、多くの方からの支えや応援があったからだと思います。」
ソチオリンピックでは 最高の演技と結果で終える事が出来なかった事。そこで引退せず復帰を選んだけれど自分が望む演技や結果を出す事が出来ない悩み。去年の全日本選手権を終えた後、引退を決断した事が語られる。
「このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。」
「これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。
この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。」
最後にファンや支援者への感謝で締めくくる。
「皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました。」
あさっりした短文ではあるが「私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。」 、 「この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。」 というメッセージに心惹かれる。
ここからは本サイト管理人独自の解釈ですが、浅田真央に引退を決意させたのは何だったのか。
若い才能の台頭、世代交代の波がフィギアの世界に押し寄せる。平昌冬季五輪の国・地域別出場枠を懸けたフィギュアスケートの世界選手権で日本女子フィギアスケートの出場枠は前回までの「3」から「2」に減った。浅田真央本人、このことは引退とは無関係を宣言している。
だけれど「自分がいつまでも復帰にこだわっていたら誰がオリンピックに出場するかが定まらず、若い芽の可能性を一人分摘んでしまうのでは。」と考えたのではないでしょうか。浅田真央 自身、19歳だった。2010年2月のバンクーバーオリンピックに出場し惜しくも金ヨナ(韓国)破れるものの銀メダルを獲得した時の年齢が若い若い19歳だった。
「将来ある若い選手に早く代表としての自覚をもって演技の完成度を高めて欲しい。」
トップを目指すには如何に早くからオリンピック代表枠を獲得し自覚を持って技や演技を組み立てて練習を重ねる事が大切かを良く知っている。
「自分がいつまでもこだわり続けることで次の世代の道を遮る訳にはいかない。」
浅田真央の引退会見ではそのようなコメントは見当たらないので意識したか潜在的に思っていたかは確かめようがないけれど、そういう気持ちで引退を決めたのだと思います。そうは言っても21年間も情熱を注ぎこんで最後の最後までオリンピックでの金メダルを目指し続けた浅田真央。平昌オリンピックまでに技術に演技の完成度を加えてトップが狙っていた人が後輩の為にアッサリと道を譲れるものかという疑問は残る。
しかし私は思います。
浅田真央が最も楽しいと思える瞬間それは「技ができる事」。
何もオリンピックの大舞台でなくても、どこいらのスケートリンクで夢見る幼い子達が見ている前で「凄い!」「素晴らしい!」と思わせるような演技ができればそれで浅田真央は十分幸せなのではないのか。”名声”とか”メダル”とか”出場枠”なんかにこだわらない、だからと言って”前向きな意欲”は失わない。ハッキリと確認できた訳ではないけれど、浅田真央さんの引退会見の姿を見ていると何か熱い気持ちが湧いてくるので「そうなんじゃないか」と思われてくるのです。
人生って、自分が心から喜べる何かを見つける旅なのかも知れませんね。
「今日が新たなスタート」と語ったのだそうです。新聞の記事の片隅で、もうお目にかかる事がないかと思っていた人が天真爛漫な笑顔で清々しいく手を振っている記事を見かけました。
時は2017年5月14日 場所は羽田空港。浅田真央の 行き先はカナダ。夏のアイスショーで披露する新プログラムを練習するため、カナダに向けて出発したのだそうです。「もう一度ベストコンディションで臨みたい。」のだそうです。アイスショーの為に。
2017/5/14 の日本経済新聞記事 に掲載された「 浅田真央さん「新たな出発」 ショーに向けカナダへ 」の記事の写真
この笑顔、